EMに関してはニセ科学であるという指摘がネット上に多数寄せられていますが、踏み込んだ新聞報道は従来ありませんでした。
今回の報道はEMが科学的に有効性を確かめられていない事実を指摘し、EM報道記事としては画期的なものです。
EMがニセ科学であることに異論はありませんが、その活動には社会運動的な側面があると思います。
今回社会運動としてのEMを考えてみます。
新聞報道が青森県版だったので、青森の状況は酷いという誤解があります。
しかし、実際には全国の多くの都道府県が同じ様な状況です。
具体例として、EMを支持する方のブログや環境学習ネットワークをご覧ください。
地域への浸透を現す詳細資料がEM以外から出ている例もあります。
ライオンズクラブ(336-B地区 鳥取県・岡山県)のアンケート集計結果をご覧ください。
全国の自治体に広く浸透しているEMは、教育、医療、農業、環境、福祉など複数の分野が活動領域です。
ホメオパシーが代替医学分野、水からの伝言が教育分野など他のニセ科学が活動領域を絞っているのとは異なる展開です。
EMにはニセ科学であるという指摘以外に宗教的であるという指摘もあります。
活動領域が多岐に渡る点、微生物に神秘性を持たせている点などEMには宗教を思わせる面があります。
しかし既存の宗教と比較すると生活の細部にまでは入り込んでいませんし、明確な教義もありません。
EMの本質は社会運動かもしれません。EMを社会運動と考えると、従来とは異なる姿が見えてきます。
朝日新聞記事に対して株式会社EM研究機構の反論がホームページに掲載されましたが、データを伴わず多量の体験談に終始しています。
科学的な効果を問われているのに対して、体験談を並べても科学的には意味がありません。
しかし社会運動がEMの本質と考えると、体験談を多数並べることに意味が出て来るのではないでしょうか。
EMの本質が社会運動であると考えると、様々な党派の政治家に働きかけたり、商工会やライオンズクラブに浸透している状況も理解しやすくなります。
しかし効果がない社会運動に多くの人々が巻き込まれる事は困ります。
日本の未来をになう子供たちにニセ科学が教えられる事はもっと困った事です。
EMを社会運動と考えた場合、その思想に大きく影響を与えた人物が考えられます。
高名な環境学者であり公害問題研究家でもある宇井純氏です。
宇井氏の業績をウイキペディアから引用します。
(引用開始)日本ゼオン勤務時代、塩化ビニール工場の製造工程で使用した水銀の廃棄に関わっていたことから、水俣病の有機水銀説に衝撃を受け、大学院生時代から水俣に足を運び、合化労連の機関紙に富田八郎(とんだやろう)のペンネームで連載した記事により、水俣病の問題を社会に知らしめる発端を作った。将来を嘱望されていたが、助手就任の1965年に新潟水俣病が発生し、実名での水俣病告発を開始したため東大での出世の道は閉ざされ、「万年助手」に据え置かれた。従来の科学技術者の多くが公害企業や行政側に立った「御用学者」の活動をしてきたと批判し、公害被害者の立場に立った視点を提唱し、新潟水俣病の民事訴訟では弁護補佐人として水俣病の解明に尽力するなどの活動を展開した。
1968年から1969年にかけ、東大闘争の最も激しかった時期にはWHO研究員としてヨーロッパに留学していた。
帰国した1970年より、公害の研究・調査結果を市民に直接伝え、また全国の公害問題の報告を現場から聞く場として公開自主講座「公害原論」を東京大学工学部82番教室にて夜間に開講。 以後15年にわたって講座を続け、公害問題に関する住民運動などに強い影響を与えた。こうした活動は大学当局にとっては非公認の活動であったが、外部からは、同時期に都市工学科の助手だった中西準子とともに「東大都市工学科の良心」とみなされることもあった。
沖縄国際大学教授となっていた玉野井芳郎の呼び掛けに応じて、1986年、21年間にわたった東大助手の職を辞し、沖縄大学法経学部教授に就任。沖縄の環境問題をはじめとして世界的な環境問題に取り組むとともに、公害論の授業(月曜日2コマ及び6コマ)を担当した。(引用終)
以下宇井純氏とEMの提唱者比嘉照夫氏を、私の視点で比較します。
プロフィールによると宇井氏はWHO研究員として1968年から1969年にかけてオランダに留学し、酸化溝という微生物を利用した廃水処理技術を学びました。
酸化溝は嫌気性菌と好気性菌を交互に使う廃水処理技術です。宇井氏は沖縄でも酸化溝の普及活動をしています。
酸化溝は廃水処理の主要な技術の一つで、いくつかのバリエーションがあります。
EMは嫌気性菌と好気性菌が共生していると説明されています。
元々微生物農業資材だったEMが廃水処理に乗り出したのは酸化溝にヒントを得たのかもしれません。
『比嘉照夫のすべて』サンマーク出版によると比嘉氏は公害問題に関心があったそうです。
高名な公害研究家の宇井氏が沖縄大学に教授として赴任したのは1986年です。
この時比嘉氏は琉球大学教授で、農業資材としての微生物を研究していました。
宇井氏はEMに興味が無かった様ですが、比嘉氏の方は公害研究家の宇井氏に興味があったかもしれません。
そしてEMは農業資材から万能の微生物に変貌を遂げていきます。
お二人のその他の業績を比較してみます。
宇井氏 比嘉氏
WHO研究員 日本WHO協会沖縄支部長(WHOと別組織)
エントロピー学会所属 シントロピーを提唱
公開自主講座「公害原論」 毎月多数の講演会を開催
国連環境計画(UNEP)「グローバル500賞」 国連で除染活動報告
NPO法人沖縄環境ネットワーク NPO法人地球環境・共生ネットワーク
水俣病研究 EMの癌治療への適用
自然保護活動 EM活性液、EM団子による環境浄化活動
沖縄サミット直前に国際環境NGOフォーラム主宰 EMサミットを開催
回分式酸化溝による廃水処理 EMによる下水処理
等々まだ色々あると思いますが、取りあえず比較は終えます。
最後にEMのお膝元沖縄で起きたトラブルについて書かれた論文と、宇井氏が留学したオランダからのEM評価論文を紹介します。
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